教えられなかった戦争・沖縄編 |
【日時】8月22日(水) 午前10時15分start(9時45分open)
【料金】2000円(上映料+ランチ)
【問】080-6085-9063 みみずく舎 ミリケン恵子
みみずく舎の水曜上映会です。
戦争が終わったあとの伊江島で、何がおこっていたのか。

いつかの上映会で「カンタティモール」を観たときに思い出したのが、伊江島のことでした。
命や土地を奪いにくる相手を敵ではなくて人として扱って話をするというやりかたがあるのだと知りました。
個人的なことですが、ずいぶんと前に伊江島に行ったときのことを、ミクシイ日記に書いたことがあったのでちょと載せてみます。
・・・・・(前略)
で、伊江島滞在4日目になって、土の宿のとなりにある反戦平和資料館に足を踏み入れた。
伊江島は、米軍基地があるものの、とても静かなのんびりしたところだ。その伊江島が、やはり沖縄戦での凄惨な歴史を持っていることを今回初めて知った。
戦時中も戦場になったのだけど、戦後になると米軍基地がやってきて、さらにひどいことになる。米軍は農耕を営む村人を強制的に追い出した。家をブルドーザーでつぶしたりもした。
家も農地もなくした人たちが水はけの悪い土地にテント生活する写真は難民のようで、これが戦後10年以上たったものとは思えない。
伊江島のひとびとはアメリカ占領下で土地の返還運動を粘り強くやっていくのだが、そのスローガンは、私には奇妙なものに思えた。
「反米的にならないこと。怒ったり悪口をいわないこと。
絶対に暴力を使わない、大声をださない。
米軍に対しては、小さなこどもを教え導く気持ちで話す。」
運動のスローガンというよりも、小学校の道徳みたいだ。
実際に島で拾われた不発弾や死んだ人の着ていた衣服といった、館内を埋めるなまなましいものたちと、その紙や布に筆で書かれた易しい文面とは私の中ですんなりとは結びつかない。
基地内に入って畑を作ろうとしても米軍に焼かれ、病気や餓えて死んでしまうひとも出る。
この写真の難民のようなひとたちが、非暴力ということを考えついて実行したのか…
このやり方で、現実的に通用するんだろうかと思った。
そして住民たちは、島の63%を占めていた基地を、35%にまで縮小させた。一度持ち込まれたミサイルも撤去させている。
資料館の圧迫感は、一歩そとへ出るとのんびりした島の空気に変わる。
伊江島も沖縄のほかの土地と同じように、今は基地関係の収入で潤っている。